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なぜ非局在化で電子は安定化されるのか

(著)山たー

インターネットで非局在化により電子が安定化する理由を調べても、「電子の分布が広がると安定化されるから」とか「電子の負電荷が広がるとエネルギーが減少するから」とか「共鳴構造ができて安定化されるから」とか納得できない答えが多くあります。

 

何にせよ、どうやら「非局在化」=「安定」という構図ができてしまって深く考えていないのではないかと思います。実際、私もそうでした。

 

この「非局在化で安定」となる理由は量子力学の初歩的なことを考えれば説明できます。ですので、メモとして残しておくことにします。

 

(追記)同じ説明を与えているサイトが見つかりました。こちらも参考にすると良いと思います。

https://www.chem-station.com/blog/2005/04/conjugatedsystems.html

 

井戸型ポテンシャル(箱の中の粒子)問題

井戸型ポテンシャル(箱の中の粒子)問題というのは

$$ V(x)={\begin{cases}0&(x\in [0,a])\\\infty &(x\not \in [0,a])\end{cases}} $$

というようなポテンシャルの中に粒子を閉じ込めたときの固有振動とエネルギーを求める問題です。

 

一次元の長さ$a$の箱の中に粒子(電子)を閉じ込めた場合を考えましょう。詳細はWikipedia に譲るとして(別に井戸型ポテンシャル問題を解くことが目標ではないので) エネルギーは次式のようになります。
$$E_n=\frac{n^2h^2}{8ma^2}$$
さて、ここでエネルギーは$a$の二乗に反比例します。これは高次元に拡張しても同じで、電子が移動できる空間が大きくなるほど、電子のエネルギーは減少します。

それでは何故、電子が移動できる空間が大きくなればエネルギーは減少するのでしょうか。もちろん、式を導出して分かったわけですが、今からやりたいのはこの式の解釈です。結論から言うとハイゼンベルクの不確定性原理を用います。

 

ハイゼンベルクの不確定性原理とエネルギーの下限

引き続き、一次元で考えます。平均エネルギーを$\langle E\rangle$, 平均二乗運動量を$\langle p^2\rangle$で表すと、 $$ \langle E\rangle =\frac{1}{2m}\langle p^2\rangle $$ という関係があります。箱の中での空間の対称性より平均運動量$\langle p\rangle=0$であり、分散は二乗の平均から平均の二乗を引いたものですので、$\sigma_p^2$を運動量の分散とすると、 \begin{align*} \sigma_p^2&=\langle p^2\rangle -\langle p\rangle\\ &= \langle p^2\rangle -0=\langle p^2\rangle \end{align*} となります。

ハイゼンベルク(Heisenberg)の不確定性原理によれば、$\sigma_x, \sigma_p$をそれぞれ位置と運動量の不確かさ(標準偏差) とすると、 $$ \sigma_x \sigma_p>\frac{\hbar}{2} $$ が成り立ちます(不確定性原理は箱の中の粒子問題からも導出可能です)。ここで、$x$に関する不確かさ(標準偏差)$\sigma_x$は$a$より大きくなれないので、これと不確定性原理より、 $$ \frac{\hbar}{2\sigma_p}<\sigma_x\leq a $$ が成り立ちます。右端と左端を比べると、 $$ \frac{\hbar}{2a}<\sigma_p $$ となります。両辺正なので二乗して $$ \frac{\hbar^2}{4a^2}<\sigma_p^2 $$ ここで、$\langle p^2\rangle =\sigma_p^2$としましたので、 \begin{align*} \frac{\hbar^2}{4a^2}&< \langle p^2\rangle \\ \frac{\hbar^2}{8ma^2}&< \langle E\rangle \end{align*} が成り立ちます。

この式が意味するところは、$a$(電子の動ける空間の大きさ)が小さいと、平均エネルギーの下限$\dfrac{\hbar^2}{8ma^2}$が高くなってしまい、逆に$a$が大きいと下限が下がって低いエネルギー状態になれるということです。

結局、非局在化の安定化は箱の中の粒子で説明可能です。「負電荷分布が広がるから」などの答えでもあながち間違いではないと思いますが、少なくとも共鳴を持ち出すのは止めたほうが良いでしょう。また、「電荷が偏ると反応しやすくなる」という答えは確かに正しいのですが、オービタルのエネルギーが減少することに答えていません。

 

共役ポリエン系の「箱の中の粒子」によるモデル化

共役ポリエンの励起エネルギーは「箱の中の粒子」と考えて、近似的に計算することができます。ここではブタジエンの励起エネルギー(吸収波長)について「箱の中の粒子」による近似計算をしてみましょう。

 

(例)ブタジエン(butadiene)

近似計算を行う前に実測値を知っておきましょう。ブタジエンの光の吸収波長のピークは217nmだそうです。ただ、信頼できるオープンなデータソースがない(NISTが参考にならなかった)ので、TD-DFT法で計算してみることにしました。近似計算が合っているかを精度の高い計算で確かめるということですので、的外れな確認ではないでしょう。TD-DFT B3LYP/6-311++G**で行った計算結果は次図のようになりました。

220.12nmがピークとなりましたので、217nmという数字を信用しても良いでしょう。

 

ブタジエンは4個のπ電子を持つので、$n=1, 2$の準位は満たされます。なので、第一励起状態は$n=3$の準位に1電子が励起された状態です。 $$E_n=\frac{n^2h^2}{8ma^2}$$ ですから、$n=2$から$n=3$に電子が遷移するのに必要なエネルギー$\Delta E$は $$ \Delta E=\frac{h^2}{8ma^2}(3^2-2^2) $$ となります。ここで、$m$は電子の質量($9.109\times 10^{-31}$kg)、箱の長さ$a$はブタジエンの長さ($5.78$Å)です。ブタジエンの長さはC=Cの結合長(1.35Å)とC-Cの結合長(1.54Å)、および炭素原子の半径(0.77Å)から計算されたものです(1.35$\times$2+1.54+0.77$\times$2=5.78)。また、プランク定数$h\simeq 6.626\times10^{-34}$Jsであるので、 \begin{align*} \Delta E&=\frac{(6.626\times10^{-34})^2}{8\times9.109\times 10^{-31}\times(5.78\times10^{-10})^2}\times5\\ &\simeq9.02\times10^{-19}\text{J} \end{align*} となります。ここで、$E=h\nu=h\dfrac{c}{\lambda}$より、 \begin{align*} \lambda&=\frac{hc}{\Delta E}\\ &=\frac{6.626\times10^{-34}\times3.0\times10^{8}}{9.02\times10^{-19}}\\ &\simeq 2.20\times10^{-7}\textrm{m}\\ &=220\textrm{nm} \end{align*} となります。ゆえに箱の中の粒子近似はブタジエンの吸収波長のピーク(最低励起エネルギーに対応する波長)をある程度計算できることが分かります。

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コメント: 1
  • #1

    イチロー (土曜日, 05 9月 2020 21:32)

    電子の動ける空間が小さいと、電子の波長はその空間の大きさぐらいになる(つまり小さい)ので、
    それによって運動量や運動エネルギーが大きくなり、逆に電子が動ける空間が大きいと電子の波長も大きく
    なり得るので、運動量や運動エネルギーも小さくなれる、と解釈したのですが、こう解釈した場合、
    不確定性原理は必要ないのでは?と思いました。この解釈は間違ってますか?