礒山雅「モーツァルト」

 

~モーツァルトの音楽は彼岸と此岸の敷居を問題とせず、

天空を縦横無尽に、楽々と翔る。~

これを書いているのは2018年4月14日の夜だが(投稿するときには翌日になっているかもしれない)、ちょうどこの日の昼下がりに、一つの小さなニュースが飛び込んできた。モーツァルトの人生を脚色した映画「アマデウス」を監督したミロス・フォアマンが亡くなったという。ちなみに、本書の著者である礒山雅先生も、2018年の2月に不慮の事故で鬼籍に入られている。何のことはない偶然なのだが、モーツァルトと死という二つの言葉が絡み合うと、なぜかどきりとさせられる。

本書は最新のモーツァルト研究に基づき、彼の創作活動の全貌に限りなく迫っていく。まず意識させられるのは、モーツァルトの時代の音楽家が、現代人の想像するような「孤独な芸術家」のイメージとはかけ離れたものだということだ。宮廷専属の作曲家というような公的な地位を得て、上司の意向の下で音楽を書く。当然ながら彼の活動は、皇帝の人事や戦争、各地の聴衆の好みの違いといった、いわゆる「現実的な」影響に振り回される。

あなたが突然「今日から好きなことを何でもしていいよ」と言われたら、さて何をするだろうか。何をしてよいかわからず、結局普段通りの生活を送ってしまう人が多いのではないか。逆に、「今日から毎日掃除と皿洗いだけしてくれ、他のことはするな」と言われたらどうだろうか。理想化された自分が、走馬灯のように頭を巡るのではないか。人間と言うのはそういうものである。厳しい父親の圧力や金銭問題と対峙しながら、五線譜の中で自らを表現しようともがくモーツァルトの姿に、我々は親しみさえ覚える。

「アマデウス」の影響が大きいのか、モーツァルトというと、下品で礼儀知らずな人物像が真っ先に立ちやすい。しかし、彼は人生を懸命に生き抜いた一個の人間なのである。「天才」と称された幼少期ばかりがクローズアップされるが、そこから脱しようともがき、職を探し、心から人を愛し、ユーモアを愛し、自ら産み落とした作品には燃えるがごとき誇りを抱いた、いわば真正面から人生に立ち向かった一個の人間なのだ。

それにしても、である。世に作曲家は数多くいれど、後世に生きる我々がここまで何かに憑りつかれたかのように論評し、研究し、その人間像に迫りたいと思わせるのは、モーツァルトただ一人なのである。彼の人生のどこかほの暗い部分が何かを掻き立てるのか、あの美しい音楽の数々がそうさせるのか。不思議な人である。

(ちくま学芸文庫、2014年)

参考URL

本書で詳しく解説されているが、それほどポピュラーとは言えない音楽の音源を貼っておく。

他にも言及される曲は山ほどあるが、いずれも超の字が付く名曲ばかりなので、ご自身でその素晴らしさを確かめてほしい。

 

<第7章「歌曲に秘められたドラマ」>

・すみれ K.476(キャスリン・バトル)

https://www.youtube.com/watch?v=h0UgDx3YqwI

・クローエに K.524(バーバラ・ボニー)

https://www.youtube.com/watch?v=-T2JuS9oYko

・春への憧れ K.596(エリザベート・シュワルツコップ)

https://www.youtube.com/watch?v=umw-8J-O14o

 

<第9章「発展する交響曲」>

・旧ランバッハ交響曲(ホグウッド指揮)

https://www.youtube.com/watch?v=IKRjk4lihJw

・新ランバッハ交響曲(マリナー指揮)

https://www.youtube.com/watch?v=YLglaLYoxag