西村佳哲「自分の仕事をつくる」

 

~ルヴァンのパンのように、みっしりと実の詰まった仕事に触れているとき、

それを手にした人の口元は思わず緩んでいるように見える。~

 

僕たち大学生の多くはいま、アルバイトという形で仕事をしている。今はアルバイトをしていない学生であっても、将来的にはほぼ確実に仕事に携わることになる。女性の社会進出も叫ばれて久しいご時世、人生で一度も「仕事」という営みを体験しないという人は少ないであろう。さて、そんな人生の重要な一部分である「仕事」にどう取り組みますか?

この本は、モノづくりに携わる人たちへの、それぞれの「働き方」に関するインタビュー集である。初めに言っておくが、一般に「仕事」と言われて思い浮かぶような職業の方は、ここには一人もいない。デザイナーだったり陶芸家だったり、パン屋さんだったり、ひいてはサーフボード職人だったり、プラモデル製作者だったり。国籍も、バックグラウンドもばらばらである。共通しているのは、全員が仕事に対して誇りを持ち、我々とは比べ物にならないくらい楽しい人生を生きているらしい、という一点だけだ。

彼らの仕事に対するモチベーションは、物質的な欲望ではない。「良いものを作りたい」「良い仕事がしたい」という、人間の持つ根源的な欲求である。驚かされるのは、そのような極めてこだわりの強い仕事が、技術者の中で自己完結しているものではないということだ。人が魅力を感じるものとは何かを追求するべく、自らの感覚を鋭敏に研ぎ澄ます。思索を繰り返し、自分が求めるものとは何かを掘り下げる。あるいは別分野の専門家と徹底的なディスカッションを繰り返す。そのために必要なオフィス環境を構築し、アイデアを共有する。彼らの目は自分の「仕事」に留まっていず、その仕事の受け渡しを行う「人間」という存在に向けられているのだ。

大量生産、大量消費が当たり前になり、企業の巨大化も極限まで進んでいる。組織の中で働く人間はどうしても、分業体制の一翼を担う立場になりかねない。仕事に追われ、自分が何のために働いているのか見えなくなった時、その仕事の向こうにいる他者の存在に思いを馳せられるような人間になれたら、どれほどいいだろう。いや、最初から人のためでなくていい。手間を惜しまない仕事が心から楽しいという新鮮な思いは、それを享受する相手にも必ず伝わるのである。

言うべくして難しい。最近聞いた話だが、大学の医学部にいる研究者のほとんどが、国のプロジェクトに参加することで研究費を得ているそうである。「自分のやりたいことを研究している人なんて今どきいないんだよ」と当然のように忠告された。嘘のない、純な誇りの詰まった仕事を、この分野で見かけることはあるのだろうか。

(ちくま書房、2009年)