池内了「疑似科学入門」

 

~何より私が恐れるのは、

非合理を安易に許容することで

人間の考える力を失わせているのではないか、ということである。~

 

マイナスイオンだとか、電磁波を使って病気を治すと謳った健康器具だとか、「疑似科学」と聞いて我々が思い浮かぶのは、いかにも怪しげな物ばかりである。私たちのように少し理系科目をかじった人間はこのような「いかにも怪しげな」ものを見て、「さすがに引っかからないよね~」とか、「なんでこんなことを信じるんだろうね~」とか、さもわかったかのように、一般人を見下す発言をするのが常である。

むろんこの本にはそのような話題も書かれていて、それぞれについてしっかり反証が為されている。統計や確率を用いて人をダマす手法の箇所などは、この分野を勉強する端くれの人間としても、我が意を得たりという思いだった。体験したことが脳の中でそのまま記録されず、様々なバイアスがかかってしまうという「認知エラー」の話題も、脳科学的で非常に納得する。

しかし、本書はこれだけでは終わらない。疑似科学を蔓延させている社会の背景にまで切り込んでいく。白黒付けなければおかない現代人の性急な態度。垂れ流される情報を鵜呑みにする無責任さ。現代科学への失望。科学は物事を単純な要素に還元することで発展してきたが、気象や健康などは、変数となりうる要素が極めて多い「複雑系」であり、科学の手に負えないのである。複雑系に対して、根拠のあるなしをいかにもわかったように論評するのは、疑似科学の一種なのではないか-。地球温暖化は「フェイク」だと喝破するアメリカ大統領や、原発にリスクはないと言い張る政府。ここまできてようやく、このテーマは人間と科学の関係を本質から探り直すものだったのだと気が付いた。

全編を通底しているのは、全てを他人に「お任せ」し、自ら考えることをしなくなった現代人への批判だ。与えられた技術を甘受し、または表面的な批評をするだけで、根本的な懐疑をしない。ちなみにこの本が出版されたのは2008年。まだスマートフォンはなく、やり玉に挙げられているのはテレビやブログである。10年が経った今、我々の知性がどこまで劣化したのか、考えただけでも恐ろしい。

(岩波書店、2008年)