「センター試験」雑感

新年早々、試験勉強と研究室の仕事に追われているざっきぃです。こんにちは。

 

明日はセンター試験ですね(と言っている間に日付が変わりましたが)。昨年数十年ぶりとも言われた寒波が来て、会場がうっすら雪化粧していたのを思い出します。さすがに今年はそれほどではないですが、夜の気温は普通に零度を下回っていますので、朝方の冷え込みには要注意です。

 

ところで、僕が受験生時代、冬場の試験では必ず実行していた、ある習慣があります。

 

それは、試験が始まる前に、重ね着している服を少し脱いでおくことです。外が寒いので、会場入りするまでは万全の態勢で着込んでいくのですが、部屋の中は暖房が極めてきつい。その状態で問題を解くと、頭がヒートアップしてしまい、思考力が大幅に低下するんですね。僕は高二の冬くらいに受けた模試で、暑さのあまり頭がぼうっとしてしまい、散々な結果だったことがあります。特に数学なんかでは、解けない時やアイデアが出てこない時、パニックになって頭に血が上りやすいです。せめて服装だけでも、少し腕をまくったら新鮮な空気が体に触れる状態にしておくと、その後の頭の働きはだいぶ変わってきます。僕はいまだに、緊張する場面や勝負をかけた場面ではこれを実践しています。皆さんも試してみてはいかがでしょうか。

 

そんなセンター試験ですが、2020年度を最後に新たな試験に取って代わるそうです。暗記偏重を脱した、現場で使える思考力型の問題になるんだとか。うーん、異議あり。

 

第一に、記述式の試験で公平な採点をするのはまず不可能です。明確な採点基準があったとしても、採点者によるぶれは必ず出てきますし、基準にない答案を書いてくる生徒も必ずいます。そもそも、「一点や二点が合否に影響する」という概念と、記述式の試験とは相容れないのではないでしょうか。記述式を導入するなら、透明性なんて考えは捨てて、米国の大学受験のように選考過程をブラックボックスに入れてしまえばいいのになと思います。

 

第二に、誰が採点をするのでしょうか。50万人を超える受験生の採点が、大学入試センターの手に負えるとは思えませんので、やはり各大学に回ってくるのでしょう。個別学力検査だけでも相当な体制を敷いている大学に、そのような余裕はあるのでしょうか。あるいは民間企業に委託するのが最善の策なのかもしれませんが、信頼の問題がありますし、利益相反なんかも根深そうです。僕の高校時代の先生は、「引退した高校の教員が採点するんや」と仰っていましたが、果たして・・・。

 

第三に、新試験の標榜する「思考力」とは、文科省の役人が机上で考えた「お仕着せの」思考力です。「〇〇について話し合ってみよう」というようなページが、教科書の章末に必ずあったのを思い出しますが、一般常識やルールに囚われた「いかにも大人が好みそうな」議論ばかりで、学生を馬鹿にしていると言われてもおかしくない代物でした。大体話し合いとか考察とかいうのは、「やってみよう」と言われてやるものではなく、自発的に湧き上がってくるべきものです。新試験の問題を少し見ましたが、この程度の思考力を「思考力だ」と言われて育った若者に、パラダイムシフトを起こすような発想ができるのか、心配になりました。ましてやその議論に「20文字程度の文章を挿入」させるだけで「思考力を問うた」とするのは、いくらなんでも無理があるでしょう。

 

第四に、百歩譲ってその「思考力」が仕事の現場で必要だとしましょう。人間に必要な力って、現場で使える力だけなんでしょうか?教養は不必要なんでしょうか?そもそも「思考」や「創造」をするのには、莫大な量の前提知識が必要です。作家の村上春樹氏は、「100冊読んで、やっと一冊書けるか書けないか」と書かれていましたが、インプットあってこそのアウトプットだということの象徴でしょう。今の世の中では、プレゼン力などの「アウトプット」ばかり強調されますが、教養のない人がそれだけを学んでも、空疎でしかありません。現行のセンター試験は「暗記偏重」などと批判されますが、国語の重箱の隅をつつくような問題を除けば、アカデミックな世界で生きていくために最低限必要な知識を問うているにすぎず、そのインプットすらも回避させようとするのはどうかと感じます。まして今の大学生は、大学の授業でも教養を身に付けないと聞きます。入試で勉強しなくて、いつ勉強するのでしょうか。(個人的には、社会4科目を全て必答にすればいい、くらいに思いますが。)

 

世界史の教科書一つとっても、新課程では古代や中世などが削られ、現代日本と関わりの深い箇所の歴史を重点的に学ぶものに変化しているそうです。確かにその方が有用性が高いのは認めますが、まるで歴史や文化は仕事に不必要だと言われているようで、どこか空しく思います。「思考力」の話にせよ、日本中が即席の効率を追いかけるあまり、どんどん学問の本質から離れていっているような気がしてなりません。大学での文系予算の削減にしろ、研究費の偏重にしろ、この国は本当に大丈夫なのか、とつくづく思います。センター試験の改革が、学術衰退の第一歩にならなければいいのですが・・・。